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厳島神社 管絃祭

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 管弦祭は旧暦の六月十七日大潮の日に、世界遺産である宮島厳島神社で御神体の海上渡御を目的とした、十日間に渡り繰り広げられる、瀬戸内海を代表する海の祭りです。(管弦祭の概要)

 平安時代、貴族たちは 池や河に船を浮かべて管弦の遊びをしていました。 管絃祭はそれが海上渡御となったともので、平清盛が信仰する厳島神社に移し、神事として行うようになったと言われています。大阪天満の天神祭、松江のホーランエンヤと共に 日本三大船神事のひとつです。


    午前の満潮時に、江波の漕伝馬船が木遣りを唄いながら、揃いの半纏、編み笠と言ういでたちでやってきます。  江波の漕伝馬船が近づいてくると御座船は、阿賀町の漕船に曳かれ、大鳥居沖に向かいます。  そして、江波の漕伝馬船は、入れ違いに回廊に囲まれた枡形に厳かに入っていき、船を左に三回、廻します。  この時に、漕伝馬船で唄う木遣り歌と采振りのすばらしさは、圧巻!!  その後、社殿で祈祷を受けます。

  出御祭は午後四時に始まります。  本社社殿で雅楽を奉納し祝詞秦上した後、御祭神を御鳳輦に遷します。  御座船まで御祭神を運ぶのは阿賀町漕船の人たちです。
この頃になると、潮もすっかり引き、大鳥居沖に停泊している御座船まで、采振りと呼ばれる阿賀町の四人の子どもが水主(漕ぎ手)の肩に乗って先頭をつとめます。

  御座船は祭典を執行し管絃を奏でた後、江波の漕伝馬船に曳かれ、大鳥居の前で三回、廻します。

  阿賀町の漕船二艘が、江波の漕伝馬船の左右につき、いよいよ御座船の曳航が始まります。

  御座船は対岸の地御前神社に向かいます。 地御前神社までは、およそ4キロ 約1時間です。 その間、漕ぎ手たちは休むことなく、ただ、ひたすらに漕ぎます。 江波漕伝馬船の息の合った櫂さばき、阿賀町の漕船の船首でかわいい采振りの子どもたち・・・

  あたりは陽が沈みはじめ、薄暗くなってきました。
船上では 提灯や雪洞が燈され、舳先ではかがり火が焚かれます

  御座船は地御前神社の対岸の火建岩沖に到着。 ここで、江波漕伝馬船はいったん御座船から離れ、地御前神社へ一足先に向かいます。 地御前神社では、太鼓を持ち拝殿に上がり、神社前で踊り、神慮を慰めます。

  御座船は再び、江波漕伝馬船によって三回、廻します。その間、船上で管絃樂を奏でます。 阿賀町漕船が左右に加わり、地御前神社の仕立てた水先船に従って、宮島の長浜神社に向かいます。 海上にゆらゆらと映るかがり火、薪の良い匂い・・・ 櫂がきしみ水をかく音・・・ とても幻想的です。

  宮島の長浜神社ではかがり火がたかれ、提灯をもった人々が海岸に並び、船を出迎えてくれます。 船の上から見ると、提灯がこちらを呼んでいるようで、引き込まれそうになります。

  長浜神社では、大鳥居前と同じように祭典を行い、江波漕伝馬船で御座船を三回廻します。 ここから阿賀町漕船は御座船を離れ、江波漕伝馬船だけが御座船を曳き、大元神社へと向かいます。 大元神社でも祭典を行い、管絃樂を奏で、御座船を三回廻しします。

  十七夜の月が中天に昇る頃、海は満潮を迎えます。
御座船は江波漕伝馬船に曳かれて静かに大鳥居をくぐります。

  江波漕伝馬船は御座船から離れ、回廊の枡形に向かいます。 枡形では、多くの見物人がおり、一番の見せ場となります。 息の合った櫂さばきで、狭い枡形を大櫂を巧みに操作し、三回廻します。 ここで、江波漕伝馬船の人たちの役目は終わりです。 手締めで閉め、労をねぎらいます。 役目を終えた江波漕伝馬船の人たちは、とてもいい顔をしていて、汗が光っていました。

  社殿に入った御座船は火焼前と客神社前で祭典と管絃樂を奏でます。 御座船は、水棹を使って自力で回廊の枡形に向かいます。 狭い枡形を、四隅に立つ船頭さんの絶妙の棹さばきで、社殿すれすれに御座船を左に三回廻します。
たくさんの拍手と、ねぎらいの言葉が飛び交い、祭りは最高調に達します。

  御座船は再び、火焼前に着岸し、御祭神(御鳳輦)を阿賀町漕船の人たちによって本
殿に戻ります。 この時、鳳輦に触ると幸運に恵まれると言ういわれから、たくさんの見
物人が集まります。

  管絃祭は、潮の満干が重要なポイントとなるお祭りですから毎年、旧暦の六月十七日 大潮の日に行われ、管絃祭の十二日前(旧暦六月五日)から行われる市立祭から始まり、御洲掘御船組御試乗式と一連の行事を遂行し、管絃祭は終着地点となります。それだけではありません。管絃祭が行われるまでには数々の人々が関わり、準備をし祭りを継承すべく努力しているのです。
 かって管絃祭は、「御供船」と呼ばれた、大漁旗など飾りを施した船がたくさん各地から集まり、海上の安全と豊漁を祈願しました。当時、宮島湾は御供船で埋め尽くされ、肝心の管絃船は何処にいるのか分からなくなったそうです。残念ながら現在は、時代の移り変わりとともに、御供船の数はめっきり減り、寂しくなってきました。

 


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