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大崎上島 住吉祭 櫂伝馬競漕
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東野の櫂伝馬競漕は「西の宮島さん」「東の三島さん」と並んで有名で、昔は遠方からもたくさんの参拝者が押し寄せていました。昔は各地区の沖で(垂水沖競漕、古江沖競漕、中央沖競漕、矢弓、大田沖競漕)競漕をしていましたが、現在は、簡素化され、一箇所で行うようになりました。
行事は例年旧暦の六月二十九日に行われていましたが、時代の流れとともに、漕ぎ手不足など緒理由により、現在は参加しやすいようにお盆休みの八月十三日大崎上島の住吉祭の日に行われています。
櫂伝馬競漕は1977(昭和52年)に東野町無形民俗文化財に指定されています。
水夫(カコ)ぞろい
祭りの日の早朝に各地区の代表18人の若者が、古江沖に集まり集会所前で祭典が行われ町の人々に披露されます。
水夫は、各地区でユニフォームが決まっていて、その上に半被を着ます。剣櫂と台振りは、その地区の男の子が担当し、絣の浴衣に袴を着て、五色の紐でたすきがけにします。白足袋を履きます。
祭典終了後、水夫の手によって 御祭神が御本船に運ばれます。外表区沖に各櫂伝馬船、御本船、御供船が移動します。
各地区の櫂伝馬船が 一斉に海に漕ぎ出します。太鼓を鳴らし、子どもたちの采振りと乱れることのない櫂さばき・・・練習を重ねた証です。
各地区、御供船と呼ばれる、綺麗に飾られた船が出ます。伝統にのっとり飾り方はさまざまです。
一回目のレースです。くじを引き、海岸から何列目になるか決めます。 その日の、潮の流れによってずいぶん左右されるので、良い位置が当たりますように・・・采振りの子どもたちは、海に落とされないように座ります。どこで、スパートを駆けるか、どのコースを取るか、チームごとに作戦を練ります。大会委員長の合図で、一斉にスタート!!
双子島を回って折り返します。ところどころ、浅くなっているので、乗り上げては大変です。(過去に何回か乗り上げているそうです)早く折り返すには、そのぎりぎりの所を折り返す必要があるので、大櫂の見極めが大切です。
各チームごとに、太鼓を鳴らし、采振りをしながら漕いで、自分たちをアピールします。海岸では、見物人が御祝儀をもって見守っています。 御祝儀は、笹の枝にくくられ、岸から船頭に渡されます。
競漕の間の昼、将来の漕ぎ手たち(地元の子ども達)による競漕が行われます。学年によっては、人数がそろわなかったりするのですが、授業の合間に練習を行い、一生懸命です。
二回目のレースです。一回目と同じようにくじをひき、場所を決めます。海上にある目印のブイを回って折り返しますが、最短コースを取ることが出来るかどうかが勝負の決め手となります。
レース終了後、御祭神が厳島神社に運ばれ,祭典が行われます。祭典終了後、レースの結果が発表されます。 大会委員長から優勝旗を授与され栄誉を称えられます。。
陽が沈み、あたりが暗くなった頃、きれいに電飾された御本船や、御供船がゆっくりと海上に進んで行きます。
祭りのフィナーレは、夜空いっぱいに広がる花火です。島影にあがる花火と海に浮かんだ御本船や御供船はとても綺麗で、幻想的でした。
櫂 伝 馬 船
櫂伝馬船の全長は11・1メートルと決められていますが、船幅、櫂の長さは決められておらず、各地区が少しでも速く走れるように研究と工夫を重ねています。櫂伝馬船は水夫(漕ぎ手)片舷7人の計14人、船頭、太鼓、船首、台振り、船尾、剣櫂それぞれ1名、合わせて18人で構成されています。各地区の若者の手で、船底が少しでも速く走るようにとワックスがかけられ、ピカピカに磨き上げられ、化粧が施され、本番を待ちます。