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江波漕伝馬船

 元禄十四年(1701)の暴風雨をきっかけに 厳島神社の管弦船を曳航することとなった江波町伝馬船は、現在江波漕伝馬保存会がその役目を引き受けています。 平成8年5月27日に広島市指定重要無形文化財に指定されています

 管弦祭の前日に、本川を伝馬船でのぼり、漕伝馬と関係の深い本川橋西詰めの森川家の屋敷跡で漕伝馬船を三回廻します。 かって森川家があった頃は、屋敷に招かれ接待を受け、その晩に本川をくだり、直接宮島に向かっていました。現在では、一度江波に帰り、翌朝宮島に出発しています。

 漕ぎ手14人の息の合った櫂さばきは見事なもので、管弦祭の始まる数ヶ月も前から練習を重ねています。漕伝馬船は、その年20歳となる江波地区の若者が漕ぎ手となる伝説がありましたが、最近は、年齢にこだわらず、江波地区に縁のある若者がその役目を担っています。
 管絃祭当日はあ、空が明るくなり始めた早朝に江波を出発します。

 漕伝馬船は右舷、左舷各七丁の櫂で、漕ぎ手14人、大櫂(梶)1人、太鼓1人 その他合わせて37人乗りで、船尾には、世話役の人々が乗り込みます。音頭に合わせて台振りは、船尾の四斗樽の上に乗り見事な采を振ります。漕ぎ手のいでたちは、赤い格子のそろいの法被、菅笠、白足袋が正装でっす。世話役の人たちは、紺地の羽織に白い腰巻、麦藁帽子と言う出で立ちで明治大正の古きよき時代を彷彿とさせます。

 江波地区では、管弦祭が終わって、江波祭りの中で、管弦祭と同じような御座船をこしらえ、地区の皆さんに見事な技を披露しています。

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