[管弦祭に戻る]


 

 

阿賀町 漕船

 元禄十四年(1701)の暴風雨をきっかけに 厳島神社の管弦船を曳航することとなった阿賀町漕船は、現在、呉市 阿賀漁協がその役目を引き受けています。

 現在、阿賀漁協では 二つの組に分かれ 交互に役目を果たしています。しかし、ここでも、年々後継者不足に悩まされており、櫓を扱うことが出来る人が少なくなってきました。
 管絃祭二日前の夜、地元の阿賀住吉神社でお払いを受けます。阿賀湾を出航した二隻の船は、船を三回廻した後、宮島に向かいます。管絃祭では、「御試乗式」の大切な役目を担っているので、神社の回廊に寝泊りします。神社の回廊で、煮炊き、就寝を許されているのは、この阿賀の人たちだけです。

 船の先頭で采振りをするかわいい男の子たち4〜8歳の子どもたちです。 夜になりだんだん疲れてくると眠くなり、それでも一生懸命に采振りする姿はとてもけなげでかわいい。采振りをする子どものすぐ横で、世話役が眠って海に落ちないように子どもたちに絶えず声をかけていました。それでも、睡魔には勝てないようで、コックリコックリする子どもたちはほほえましい。

 阿賀町では、祭りの1ヶ月前から準備します。阿賀船は、鯛網船で六丁櫓です。 一隻に水主(漕ぎ手)が12人、采振り2人、太鼓1人で構成されています。当日、船は五色の布や金銀のモールで飾りつけされ、水主は、代わる代わる入れ替わりながら漕ぎます。入れ替わる水主は、櫓の動きを止めないように、絶妙なタイミングで後ろから入ります。

 阿賀の人たちは 「見るからに漁師さん!!」といった風貌で とても威勢がよく そろいの少し派手な柄の半被に黄色の腹巻き、ねじり鉢巻姿で祭りを盛り上げています。ねじり鉢巻も、それぞれの個性が有って、漁師生活を垣間見たような気がしました。

大鳥居をくぐる、阿賀丸 厳島神社で出番を待つ御座船と阿賀丸

                                  

[管弦祭に戻る]